飛行機運休からのスタート!!!
こんにちは、まっちーです!
ついにワーキングホリデー生活始まりました!!!
と、言いたいところなんですが、というか本来ならば始まっていたんですが、
まだ大阪にいます。笑
となった経緯を私の心境とともに説明していきましょう。
3/29 出発当日
友達とランチをして、お別れをして、空港に向かいました。
私は自分が国際線に乗るのが初めてで、搭乗手続きの場所がわかるか、手続きがちゃんとできるか、そこすら不安でした。
誰かと一緒なら安心なんですけどね。
でも私は不安が顔に全然出ないんですよね。
顔はクールにスカしてるけど内心ドキドキ。
これは長所でもあり短所でもあると自分で捉えています!笑
そんな状態で1人ででかいバックパック背負って、落ち着かず空港うろうろ。
手続きまだかな〜、と待ちながら、InstagramのストーリーやTwitterで実況してました。
私の周りは優しい人ばかりで、
「いってらっしゃーい!」 「がんばれー!」
などなど、SNS通じて何人も応援メッセージをくれました。
うおー!!!嬉しい!寂しい!頑張るぞー!
と私の心は燃えており、不安をかき消そうと必死でした。笑
そして、そんな不安いっぱいのまま、まずは搭乗手続きを済ませ、身軽になりました。
18時30分
早くご飯を食べとかなきゃ、と1人でぶらぶら空港内を散策してました。
でも、全然お腹が空きません!!!
普段、この時間には絶対お腹がペコペコなんです。
自分めちゃくちゃ緊張してました、笑
そしてそんな状況を私自身笑ってました。
なんでこんなに緊張しているのかと言いますと、原因の1つが “ 英語力が低いこと ” にコンプレックスを感じているからだと思います。
これについてはまた別で書こうと思っているのでまたお楽しみに。
なので、飛行機に乗って向こうに着いたあと、お金の両替やスマホのSIM設定など私の試練は待っているわけで、調べた内容を必死に復習して順調にいけるかどうかの確認をしてました。
そんなことをしていると時間はすぐ過ぎまして、結局コーヒー飲んだだけで荷物検査、入国審査を受けに向かいました。笑
19時30分
そこで1つ凡ミス。
ボディーチェックを受け、さぁ、荷物もらって行くか、と思っていたら
「何か入っていますか?」とお姉さんに聞かれました。
おっと、まずいまずい。
と思いましたがここは結構冷静な私。
入国カードを書くために、と文房具が入れていたんですが、その中にハサミが入っていたことをすっかり忘れていました。
サイズがぎり大きかったみたいです。
無印のハサミはひっかかりますよ!
※というか大体のハサミはアウトか。笑
めんどくさかったので処分してもらいまいした。
こんなプチミスを通り過ぎて、入国審査へ。
今ってあんなに画期的なんですね。
顔を勝手に認証してくれる機械。
※昔の知らないんですけどね。笑
他の国もどんどん機械で簡単にできるようになってるのはSNSで知っていましたが、すごいですね。
と、感動したところで搭乗ゲート到着!!!
ここまでスムーズに問題なくこれたことで割と不安のドキドキは薄れつつありました。
20時
ちょっと余裕がでてきたこともあり、コンビニでおにぎりを買い、食べて待つことにしました。
出発の時間が近づいきても、全然呼び出しがないので、ここら辺からちょっと嫌な予感。
「メンテナンスのため出発が遅れます。」というアナウンス。
あー、、、と、察し。
ま、大丈夫か。でもこれで出発して事故ったら笑えんわ〜、なんて自分で突っ込みながら時間つぶし。
周りは家族旅行で来てる人が多かったです。
あとはカップルか、オーストラリア人達。
小さい子は待つことに退屈してきたり、眠かったり。子供にとっては待つことは苦痛ですから、家族旅行でこれは大変だ、と勝手にそんなことを考えていました。
そして、みんなから行ってらしゃいの連絡を返したり、その時の気持ちをブログに書いていたり。
そして出発時間を過ぎて、待つこと1時間越え。
22時
「誠に申し訳ありません。本日のケアンズ行きは運休となりました。」
おっと、、、笑
やばい!どうしよう!とか、はぁ!?とか、そんな気持ちは全くなく、
この状況が面白くて気が抜けました。笑
係員のところに押し寄せる人たち。
航空会社からメールで今後の対応についてオペレーターへ繋ぐURLを送られてきましたが、案の定サーバーが混み合ってて繋がりません。
ま、いっか。とりあえず待とう。とInstagramへ実況して待ちました。
その時の家族、友達の反応がこちら↓↓
↑家族LINEにての姉のお言葉。笑
Instagramのストーリーをみた友達からも続々と↓↓
こういう笑ってくれる、笑かしてくれる家族、友達ばかり。
いい人たちばっかりでしょ???
みんなのおかげもあり私は一番その状況を楽しんでたと思います。
楽しかったのもつかの間、ここからはまた待つばかり。
入国手続きをしていたので、それを取り消すための出国手続きのためにそこからまた長蛇の列に並びます。
USJかよって感じです。笑
やっとこさ手続きも終わり、荷物を受け取って、振替の手続きに並び、
ここでもう日付がかわってました。
立ちっぱなしは慣れている方ですが、さすがに腰が痛くなってきましたね。笑
1時
振替の手続きもやっとこさ終了。
おう、夜勤かよ。笑
めちゃくちゃ眠かったです。
宿泊代はでるのですが、自分で宿の手配と後日請求する手続きが面倒だったこと、そして何より、眠気と疲労でそこから宿とって行くまでが厳しいとの判断にいたり、
空港のベンチで寝ましたとさ。
深夜便で飛行機が欠航になるとこんな感じになるんですね。
乗客も大変ですが、何より航空会社の人たちの方がめちゃくちゃ大変そうでした。
深夜遅くまで残って、乗客の手続き変更、案内、クレーム対応。
どの仕事でもやっぱり大変で、すごいなぁ、過酷やなぁ、と感じました。
いい経験になりました。
そんな感じで本日の朝、空港より姉の家に再び逆戻り。
さっそく「おかえり〜。」と笑いの再開を果たしたのでした。
さぁ、そして気合十分。
気を取り直しまして、明日の3/31夜行便で日本出発します!
今度こそ、出発するはずです、笑
最初からこんな感じのワーホリ生活、これからの展開が楽しみですね!!!
人生楽しんだもんがち!!!
乞うご期待!!!
住み慣れた土地を離れる前の心境。
どーもーまっちーです!!!
楽しい日本での生活も、もう間も無く終了しちゃいます。
間も無く日本を出発します。
初海外、初海外生活、初ワーキングホリデー!!!
この1ヶ月弱は地元の高知に帰って、家族、友達との貴重な時間を過ごしてきました。
ワーキングホリデーに行く準備もしたり、
あと、姉が里帰り出産のために姪っ子と帰ってきていたので、姉に変わって姪っ子の育児をしたり。
普段姉は家事と育児を1人でしてて、しかも妊婦さんで、、、めちゃ大変じゃないですか?
妊婦さんってだけで身体の負担大きいし自分の体調に気を遣わないといけないのに、自分より子供と夫のために過ごして。
いいこともあるけど、ずっと1人じゃ負担が大きすぎる。
姉から愚痴を聞いたり、疲れが見えている時があって特に感じました。
なので一緒にいる間はできる限りの負担を軽減したいし、それが姉と姪っ子のためになるなら私は嬉しいなって思いました。私も姪っ子と遊べるの楽しいし。
ほんでね、本当に姪っ子は目に入れても痛くないほど可愛い。
ご飯に遊びに寝かしつけになんでもやってて楽しかったです。姪っ子が喜んでくれるから嬉しかったです。
私の育児スキルがめちゃくちゃ上がりました。笑
今なら0〜1歳半までなら育てれる自信あります。ベビーシッターできます。
あと、この時期はちょうど両親が仕事で忙しい時期ということもあり手伝いをしたり、それに母は家事もしてくれていたので、できる限り家事手伝うようにしてました。
恥ずかしい話、私大学生までずっと実家に居たんですけど、ずっと家事は母に任せてました。
私の家は家族が多くて、ご飯にしろ、洗濯、掃除にしろ何にでも時間と労力が要ります。
でも母はそれを1人で全部やってたし、私はそれを23年間任せっぱなしでした。
たまーに洗濯物手伝ったり、ご飯の準備手伝ったり、そんなこともしてましたが、ほとんど任せてました。
本当、恥ずかしい話です。
そして、大学を卒業してから一人暮らしを始めました。
そこでやっと両親のありがたさを知りました。
これはみんなが思うことだと思うんですが。
また、その中で私は割と家事嫌いじゃないな、って気がついたんですよね。
というかむしろ好き。笑
洗濯物とか、皿洗いとか、料理とか結構好きでした。
そう、なので実家にいる間はその両親への恩返しじゃないけど、できることはしないと、って思いましたし、家事を手伝わない兄弟へも自分からこれ「お願いしていい?」って役割分担するようにしてました。
といっても自分も友達との予定を入れていたりで、全てを担うことはできなかったし、両親からしたらまだまだ足りないと思われているかもしれないですが。
普段、家族に対して小さな「ありがとう」は伝えているけど、というか小さなありがとうも大事ですが、改めて感謝を伝えるのはやっぱり照れ臭いし、なかなか直接言えたもんじゃないですよね。笑
なのでできるだけ行動では示すようしたりもしたけど、やっぱり言葉で伝えないとわかりませんよね。
そう思うと言葉の力ってすごいな、と感じています。
威力が大きいだけに、きちんと正しく使いたいものです。
そう思えるようになった自分のことを振り返って大人になったんだなぁ、と思っていますし、今まで出会ってきた人たちのお陰なんだなぁ。と思いました。
そう、なので、家を出るときに照れ臭いけど、両親それぞれにきちんと手紙を渡して出てきました。
そしてバスに乗って高知を離れる時、すでにめっちゃ寂しかったです。
そしてめちゃくちゃ家族のことが心配です。
ちゃんと心身ともに健康に過ごせてるのかどうか、めちゃ心配してます。
自分の方が心配される側なんですけど、笑
自分の今後のワクワクとかドキドキ、不安より、
家族の安否の心配とか、ふらっと飲みに行ったり遊んだりできる友達になかなか会えなくなる寂しさの方が勝ってました。笑
他の人たちってどうなんだろう?
でも、ありがたいことに祖父母は多少薬は飲んでますが、みんな自宅で元気に過ごせてるし、両親も大きな病気もなく過ごせてるので、
なので尚更、今みんなが元気なうちに好きなことさせてもらっておこうと思います。笑
これが出発前の私の正直な心の中身です。
向こうに行って生活が変わると楽しくてまた気持ちも変わるんでしょうけれども、
変わるからこそ、今この瞬間の気持ちを忘れまいと、記録しておきますね。
今も大阪の姉の家に居候しながら会える友達に会いながら寂しいなぁ、ってなってます。笑
そう思えることって本当に幸せ。
私になかなか会えなくなるから寂しいと思ってくれる人もいて、それって幸せ。
愛されてきたなぁ。と自分で思ってます。笑
私には大好きって人が多いのか、多すぎるのかはわかりませんが、
現在無職、貧乏ではありますが、幸せです。
そんな、センチメンタルなまっちーでした。
さぁ、これからまた友達に会ってきます!!!
出発まであと2日!
また次回!!!
看護師は凄い人!!!
どーもー、まっちーです!
最近ですね、自分を振り返ってみて、看護師してた時のスキルって結構役に立ってるなって思いました。
私は早くに辞めた方なんですけどね。笑
辞める勇気もすごいけど、逆に看護師という道を貫き、生涯働き続けてる人たちはもっと凄いなって思っています。
それに看護師してた人は結構役に立つ
そこで、今回は私が実際に働いて感じた看護師さんのすごいところを現場のリアルを交えて書いてみました。
ちなみに私は看護師を3年弱で辞めました。↓↓
過酷な労働環境で働ける体力気力の持ち主
看護師と聞いて想像する環境でよく聞くのはこんな感じですね。
・夜勤がある
・残業多い
・人の世話大変そう
・ストレスを受け止めたり、ストレス溜まりそう
全部間違いではないですよ。病院とか場所にもより全然当てはまらないこともありますが。
夜勤があるのは本当に辛い。
私は超朝型人間なので夜通し起きておくことが不可能でした。なので仮眠休憩はぐっすり寝てました。
また、寝れればいいんですが、緊急入院や、患者さんの緊急事態で夜も忙しく仮眠休憩がとれないこともこともあります。
アドレナリンいっぱいでてて覚醒してたら良いのですが、その状態を過ぎると頭も回らず、仕事になりませんよね。だからミスも出てくるし、危険な状態です。
ちょっと余談ですが、
よく看護師界隈で『引く人』もしくは『持ってる人』というのがありまして、緊急時によく遭遇する人のことをいいます。ちなみに私は持ってない人で平和の神でした。笑
逆に日勤でも、昼間は処置や検査、手術などやることがいっぱいでとにかく忙しく、その後に記録を済ませたり、遅い人では5時定時のところ、毎日22時まで残ってるとか、、、。
いやいや、身体も疲れてるのにそんなに残って仕事してたら本当に心身ともに不健康。
そんな状態はよくあることです。
そんな激務の状況だから時間にも余裕がなく、気持ちにも余裕がなく、そしてついつい人に厳しくあたってしまったり、悪循環がうまれちゃいます。
部署や病院の規模にもよりますが、大体の大きい病院はこんな感じですし、これよりひどい環境があったりします。
幸い私は残業がほとんどなく割といい環境で働いていました。
でもやはり、早くリタイアする人も多いです。最短数週間から数ヶ月。
よくあるパターンは看護師は3〜5年すると別の病院施設へ転職したり、結婚を機に看護師を辞めたり、私みたいに海外に出ていく人もいるとよく聞きます。
出会ったことある人、実際にそうだったという人も読んでくださる中にはいるでしょう。
そんな大変な環境の中ずっと看護師をしている人は凄いです。
さらに中には、「やりがいがあるから。」という人もいて、そう言えること、そう思えることは本当に尊敬します。
いやー、本当に皆さん尊敬します。
生涯勉強する人
科学技術が進歩するということは、医療も日々進歩しているということ。
昔言われていた治療や健康法も実は違う!なんて言われるようになったり、新薬の開発によっていろんな病気が治ったり、症状が改善したり、変化がめまぐるしいです。
なので、私の時代と先輩の時代では習ったことが違うということも多々あります。
それに、学生時代に本で勉強したことは働き出すとほとんど役に立ちません。
やっと勉強、レポート漬けの学生時代から抜けだした!と思っても現場に入るとわからないことだらけで、結局は社会人になっても勉強から抜け出せませんでした。笑
なので、どの職業でもそうですが、看護師も自己研鑽というものが必ず必要になります。
勉強しない人はしていないですし、私もそんな熱心な方とは言えませんが。笑
でも人を命を相手にする仕事ですから、最低限はしていました。そして専門職としての意識を持ち、年齢関係なくしっかり勉強してる方は本当に尊敬します。
医師や看護師、薬剤師など、各々職種によって公益法人が「看護協会」などと組織を作って講演や勉強会などを開き自己研鑽、専門職の質の向上に努めています。
また各病院ごとに勉強会を開いたり、研究論文を書いて発表したり、勉強する環境を設けられます。
なので最初の激務に耐えながら勉強して、研究や勉強会の発表資料を作って、働いて、ってほんとプライベートも仕事のことばかりですよね。
勉強をしたくなくてもせざるを得ない状況。
なので日々勉強に励み、働いている看護師さんは本当に凄い!!!
多くの仕事をさばくの上手
これは私も経験したし、それが日常で活かされていることもあります。
看護師ってとにかく仕事が多いんですよ。
ちなみに看護師の仕事というのは、『保健師助産師看護師法』という法律のなかで決められています。
【看護師の定義】
第 五条 この法律において「看護師」とは、厚生労働大臣の免許を受けて、傷病者若しくはじよく婦に対する療養上の世話又は診療の補助を行うことを業とする者をいう。
こう書かれてても難しいですよね。笑
簡単に言うと、
病気や怪我をしている人と出産後の女性の療養生活を助けることが仕事なんだよ
ということです。
療養生活の世話というと本当にいろいろありますが、食事の介助、トイレの介助、お風呂の介助、着替えの介助、移動の介助など、
日々の生活に関わること全部が看護師の仕事になっちゃうんですよね。
介護士と一緒じゃん!と思いますが、そうなんです。
そして看護師は医療の知識と技術を持ち合わせているので、医師に指示された点滴や注射を患者に投与したり、医師の治療の補助(手術も含む)もしないといけません。
そうなると、1人で何人もの患者さんを看ながら、それぞれの人にやるべきこと、自分のしなくてはいけないこと、スタッフにしなくてはいけないことなど、やることが一気に押し寄せます。
なので、学生時代から優先順位をつけてこなす、ということを教えられてきましたし、実際に現場では瞬時に優先順位をつけるようになっていました。
瞬時の判断が必要になりますし、それが人の命に関わってくることもあるので。
これって他の職業でも共通してることだと思うんですけど、それができるとめちゃくちゃ役に立ちますよね。
そう、こんな現場だから看護師ってテキパキしてる人多いんですよね。
他の現場でもこういう人は重宝されるのではないでしょうか?
人のことを考えるプロ
これは本当に思う!!!
学生の頃からこのことばっかり勉強してくるんです。
まずは人の身体、病気が及ぼす影響を学びます。
そして、人が生活していくということは、人による影響、生活環境による影響、経済的な影響、宗教による影響などなど、これ以外にもいろんなことが影響しあって生活しています。
その影響によりいろんな感情があったり、それによりさまざまな決定がされたり、その決定から生活基盤が整っていき、それが本人の性格、生き方となっていきます。
そんなことを学問として理論を学び、そこに実際の患者さんを当てはめて、なんで今の人はこのような状況、考えなのか、を考えていきます。
そこから、じゃあ本人はどうしていきたいのか、看護師としてはその人がどうなるのがいいのか、なんてことを年齢、性別、人種、役割ごとに考えるんです。
そして学生の頃はそれを紙に書いて、という課題も嫌という程やりました。
考えることは私は好きだったんですけれども、書くのだけは勘弁でしたね、笑
それもあって私は人について考えるってめちゃくちゃ面白い、って感じました。
大きく理論として確立されているものもありますが、人それぞれ違いが出てくるので、その違いに楽しさが出てきたのだと私は感じます。
そして一番厄介なのが、看護には正解がないってこと。
看護にはいろんな考え方がありますし、患者や家族のためになることはたくさんあるのですから。逆に自分がいいと思っていても相手からしたら良くなかったり、難しくないですか?
そう思うと看護って独特な学問だと思います。
様々な学問から人間についての部分を切り取ってまとめたものだと私は感じています。
そうやっていろんな視点で人を考えることができる看護師たち。
そりゃ自分のことも犠牲にしちゃう人が出てきます。
さいごに
人により違いはありますが、看護師をしていた人、している人の多くはこのような能力が高いのではないかと私は感じています。
立ちっぱなしで1日仕事をして、働いている時も常に頭を使い、日々たくさんのエネルギーを使っています。
患者さんのためその家族のため、時には自分の感情を押し殺して働くこともあり、よく『役者』と例えられることがあります。
看護師自身もリフレッシュしたり、休憩が必要ですね。
今まさに現場で働いてくれている人がいるからたくさんの人の命が助かっているんだなぁ、と感謝です。
もし近くに看護師してる人がいたら労ってあげてくださいね。
ストレス発散に付き合ってあげてくださいね。笑
私も1年で病院を辞め、トータル3年弱で看護師を辞めちゃいましたが、医療や人との関わりという点では看護師の仕事も好きだなって思っています。
それに自分や家族、他の人にも役に立つので、今後何かしらで関わっていけるように、方法、手段を現在検討中です。
もし、しんどいな、とキャパオーバーな看護師さんがいたら、ぜひ自分に合った場所、職種に変更して、より過ごしやすい環境に身を置いてもらえたらな、って思います。
私みたいな人もいるので。笑
こちらも読むとより経緯がわかります、気になったらどうぞ↓↓
やっぱり看護師続けてる人って本当に偉い、凄い。
実際に働いたからよりこれを主張します。笑
以上、最後まで読んでくださりありがとうございました!!
また次回お楽しみに!!!
5人兄弟でよかったよ!
どーもーまっちーです!!!
皆さんは兄弟がいますか?それとも一人っ子ですか?
私は兄弟が多くて良いことも、悪いこともいっぱいありました!
でもなんだかんだ、兄弟のみんなが、好きだし、大事だし、兄弟多くてよかったなー
と感じています。
前回は兄弟多い繋がりから世界と比較してみたけど、今回は単純に兄弟多くてよかったこと書いていくよ!
ちなみに小さい頃の私たち↓↓ 懐かしい。
遊び相手に困らない
もう、まず何と言っても遊び相手に困らない!!!
これは一番大きかった!
下の2人は少し歳が離れており、姉とは歳が近いです。
なので小さい時はよく姉についてまわり、一緒に遊んでもらってました。
そして妹弟がそこそこ大きくなり、遊びのルールをが理解できるようになると、トランプ、uno、テレビゲームなど大人数でできる遊びで盛り上がりました。
特に私たち兄弟みんな父の影響でゲーム大好き人間。
マリオパーティー、マリオカート、スマブラなど、みんなで大盛り上がり。
え?1人コントローラー足りんくね?と思いますよね?
そう、勝ち残り戦になるのです。
弱肉強食の世界。笑
それに5人もいれば大抵誰かは家に居ますよね。2人、3人なら誰か居なくなるとすぐに1人になっちゃいますが、5人もいれば大抵誰かは家にいます。
子供だけで遊んでくれるので、両親としては助かっていたそうです。
小さい時は喧嘩も絶えませんでしたが、一緒に遊ぶことで仲の良さが一段と深まりました。
情報交換ができる
うちの兄弟みんな職業がバラバラなんですよね。笑
面白くないですか?
両親がある程度、放任主義だったおかげで各々の道に進むことができました。
長女:保育士
次女:製造職(専門は鉄を扱う)
私:看護師
妹:栄養士
弟:フリーター
特に次女は芸術大学をでて、工房に就職し、そこでは建築関係のものからアートや雑貨も取り扱ってて、私も工房に遊びに行かせてもらいました。なかなか面白い仕事で羨ましかったです。
全然関係ない職種のことを知ることができて勉強になりました。
知ることができたから、いろんなことに興味を持つようになったのかもしれません。
助け合いができる
そして、兄弟が沢山いて、しかも得意分野がみんな違うから助け合いができます!
特に保育士、看護師のコンビは最強だと思います。
今現在次女は1歳半の子と、お腹に2人目の子がいます。
育児が大変な時は長女の出番!
長女、次女、私が地元を離れ、みんな関西圏に住んでいたことからすぐに会うことができました。
なので次女の家に集合して一緒に子供と遊んで、次女の息抜きを助けたり、私たちも子供と触れ合えて癒しをもらってました。
長女の子供への接し方や働いた経験を聞いて、私も育児を実践的に勉強することができました。
そして家族の調子が悪い時は私の出番!
専門分野が違えど、大体の病気のことはわかるので家族の健康相談に乗り、家族の健康管理を私が支えるようになってます。
またこのように相談や話を聞くだけでもみんなのメンタルケアにもなるので、定期的に帰って話をするようにしてます。
いやー、一家に1人は保育士か看護師だなぁ、と思います。
やはり身内に頼れるのは一番でかいですね。
その素晴らしさを常に感じてます。
親戚がたくさんできる
そう、これはまだ未来の話ですが、5人とも結婚して子供ができたらめちゃくちゃ賑やかで楽しそうじゃないですか???
幸いにも私たち兄弟は仲が良いのでお互いの家に遊びに行ったり、子供同士で遊んで交流を図れるし、とにかく楽しそう。
子供としても遊び相手が増えて退屈しないだろうし、いろんな子に出会う機会ができるので、育児には良い環境になるのではないかと思います。
と言いつつも私は結婚はまだなんですけどね、笑
ただ、お年玉の数は半端なさそう、笑
私たちにくれてた親戚や家族は大変だったろうに、、、。
今度は私があげる番になりますね、楽しみです!
相談相手がいる
私たち兄弟は両親への相談もしますが、兄弟同士で相談し合うこともよくあります。
特に学生時代は両親より歳の近い兄弟のほうが、より有益な情報をもらうことができますし、お互いに気持ちがわかりやすい部分もあったと思います。
私も勉強面に関しては姉のアドバイスをもらい事前に対策ができたので、それを今度は妹弟に自分の経験も交えて共有していました。
また女ばっかりで、しかも姉2人と同じ部屋でもあったことから中学、高校時代はお互いの彼氏の相談なんかもたまにしてました。
今でもお互いの彼氏、旦那の話をしたりしてます。
こういう話ができることもお互いに仲が深まったことにつながったのではないかと思います。
5人と兄弟が多くて嫌なこともありましたが、振り返るとなんだかんだ良いことが多いですよ。
さいごに
このように、よかったことはまだ他にもあります。
でも共通して言えることは仲がよかったから5人兄弟でよかった、と言えることです。
たくさん喧嘩もして、当時は嫌な気持ちになったりしてましたが、今では笑って当時のことを話しています。
仲がよかったから、ここで対人関係を学んだのか、対人関係を学んだから仲良く過ごせたのか、どちらかはわかりませんが今では全て自分の為になっています。
そして何より、私はできるだけ多くの人がそれぞれ兄弟、家族と仲良く過ごしてほしいと思います。
家庭環境が複雑であったり、いろいろ問題を抱えている人もいるかもしれません。
もしそういう人がいるなら、せめて自分が家庭を持った時に、仲の良いステキな家庭を築いてほしいです。
厚かましなぁ、なんでそんなこと言うの?とめちゃくちゃお節介なんですが、それには理由がありまして、、、笑
私が医療現場でいくつもの家族をみて思ったからなんです。
というのも、集中治療室での経験をして何人もの患者とその家族に接してきました。
その中で、大病をした時、人生の最後を迎える時、そんな時に助けてくれるのは、結局は家族なんだと知りました。
命の危機に直面している患者さんの中には、兄弟や両親とは疎遠になってるから、と治療方針に支障をきすことは多々あります。
自分自身が命に関わる治療の判断をできなくなった時、次に選択を迫られるのは両親や兄弟などの血縁上繋がりがある人となっています。
家族の関係が良好な人であれば本人や家族の納得いく治療をできることが多いです。
しかし、家族の関係が悪い人であれば、本人の意思関係なく、家族の都合や家族の利益のため患者本人の治療内容が決められたりします。
そんな現状を間近で見ていて、なんだかこちらも辛くなってしまいます。
その関係をとりもつのが看護師の役割でもありますが、限界もあります。
家庭環境の悪循環を食い止めるのは医療現場だけでは限界があります。
現場を経験したから言えることは、家族と仲良く、家族を大切にして欲しいと思います。
自分に一番身近な存在が家族であり、家族のおかげで今の自分があるのですから。
私はきょうだい、両親、祖父母など家族に助けられ、今は幸せに夢に向かって生きていけてる!
皆さんは兄弟がいて、もしくは一人っ子でよかったことありますか?
もしありましたら、ぜひコメント欄にて共有してください!
今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございます!!!
そんなあなたはめちゃくちゃいい人〜!!!
それではまた次回!!!
普通に生きてることはすごいことよ?
どーもー!まっちーです!!!
いきなり質問!
画面の前のみなさん、あなたは何人兄弟ですか?
ご存知の方もいるかと思いますが、私は5人きょうだいなんです!!!
兄弟姉妹と言う方が正しいのかもしれませんが、笑
表記にいつも困ります。
あ、ちなみにみんな同じ親から生まれてきてますよ。
離婚やらそんなことはない普通の一般家庭。
今時珍しいですよね。笑
そんな5人も、もうみんなだいぶ大きくなり、みんないい大人です。
普通に生活ができています。
そしてみんな障害や病気もなく、元気いっぱいです。
そんな人多いですよね?
というか当たり前のことですよね?
でも、これって すごいことなんですよ?
当たり前すぎて、わかんないですよね。
特に日本はなによりも安全だから気づきにくいです!
銃社会でもなく、日頃から命の危機を感じることってないですよね。
それに衛生面がよく、医療が発達してるので、死にそうな病気でも治すことができるようになってきました。
あれ、急にめっちゃテーマ広いやん。笑
最初は5人兄弟ってどのくらいいるのかなぁ?と単純に調べていたのですが、その中で
日本だから5人を産むことがほぼ確実に行えて、ほぼ確実に大きく成長できているんだ。
と気づくことがありました。
子供が安全に産めること、子供が安全に育つこと
その凄さを今回は日本と世界を比較してお伝えしたいと思います。
日本における子供の数の平均
皆さんもご存知の通り、現在日本は少子高齢化と言われ、若い世代が年々減っていっていますよね。
この仕組みとしては、単純に産まれる子供の数が年々減ってきているから起きているんですよね。
じゃあ今の人ってどれくらい子供を産んでいるのかって知っていますか?
それがわかる指標の1つに“合計特殊出生率”というものがあります。
なんとなく聞いたことありますよね?
合計特殊出生率とは、人口統計上の指標で、一人の女性が出産可能とされる15歳から49歳までに産む子供の数の平均を示す。この指標によって、異なる時代、異なる集団間の出生による人口の自然増減を比較・評価することができる
そう、1947年終戦直後、第一次ベビーブーム頃の日本の平均は4.45という値になっています。
どういうことかと1人の女性が15〜49歳の間で4.45人産むと言うこと。
つまり4人兄弟ということですね!これが日本の平均だった時代。
多すぎますね!
そして近年はどうなのかといいますと、
2017年の日本の合計特殊出生率は1.43です。
1人の女性が15〜49歳の間で1.43人産むと言うこと。
つまり一人っ子ということですね。
60年の間にこうも変わるものなんですね!驚きです。
この数字は“2”以上あれば人口が横ばいで推移できると言われています。
みんなが2人兄弟だと人口は変わらず一定に保てるということです。
しかし、日本は1957年を境に2を上回ることなく、下降をたどる一歩。
つまりその時代から人口減少まっしぐら。
そう思うと私の両親は5人も産んでるという結果、すごいですよね。
ビッグ◯ディの家族なんてもっとすごいですよね。
では、この合計特殊出生率を世界的に比較してみると、、、こんな感じ↓↓↓
先進国は低い傾向にありますね。
経済状況、女性の社会進出、晩婚化、家族のあり方、性の多様化、などなど
私の知識では網羅しきれてない様々な要因で出産に至るまでの機会が減ってきています。
そう思うと、私の家庭はアフリカや南アジアとおんなじくらいの数字なんですよね。
確かに、アフリカの国では一夫多妻制があったり、文化が違うんですが。
それに日本で産む5人と、アフリカ、南アジアで産む5人は環境が違うよね?
って私は考えました。
そう、衛生状況と、医療水準の差があるのでまず産むことが難しく、産んだ後元気に育つかどうかという問題。
なので次はそこを比較してみたいと思います。
日本は世界で最も安全に出産ができる国
これまでのことを踏まえて、日本がどれくらい出産、赤ちゃんを育てるのに安全な環境にあるか知っていますか?
先ほど比較に挙げた、アフリカ、南アジアでは医療水準が低いことや、何より紛争など多い地域でもあり、寿命が短く、赤ちゃんのうちに亡くなってしまうこともよくあります。
幼いうちに命をなくしてしまう子がどのくらいの数いるのか、ということも具体的な数字として分かっているんですよね。
そこで、ここでは“ 新生児死亡率 ”と“ 乳幼児死亡率 ”という2つに絞り比較をしてみました。
なんじゃそりゃ、といいますと↓
新生児死亡率とは“ 生後4週間(28日)未満の新生児の死亡する確率 ”
乳幼児死亡率とは“ 生まれた子供が5歳までに死亡する確率 ”
参考:乳幼児死亡率 - Wikipedia 乳幼児死亡率 - Wikipedia
ということです。
そんな早い時期の死亡率とか出してるの!?って思いました?
私も最初はそう思いました。
厚生労働省やWHO、ユニセフで毎年調査されていて、もっと細かくいろんな情報をデータとして残して、比較しいろんな研究に使われています。
それでは、日本の新生児死亡率はどのくらいでしょうか?
ちなみに世界平均は1000人中18.6人という確率です。
多いと捉えますか?少ないと捉えますか?
発表します。
日本の新生児死亡率は世界で2番目に低く1000人中0.9人という確率です。
逆に新生児死亡率が最も高い国はパキスタンで1000人中45.6人という確率です。
その次が中央アフリカ共和国で1000人中42.3人という確率です。
確率だけでみると世界平均の約2.5倍!!!日本の約50倍!!!
びっくりしません!?
こんなに差があるんです。
しかも乳児死亡率で比較するともっと驚きで
5歳までで亡くなってしまう子供の確率が
日本では1000人中3人 ワースト179位
パキスタンでは1000人中79人 ワースト20位
中央アフリカでは1000人中124人 ワースト3位
すごい差、、、。
そしてパキスタンは乳児死亡率も最も悪いのかと思っていましたが、そういう訳ではなく、もっと悪い国もあるようです。
奥が深すぎる、、、。
なので最初に触れた、1人の女性が出産する数を思い出してください。
たくさんの子供を産んでもこんなにリスクあるんです。
逆にこんなにリスクがあるからたくさんの子供を産むのか?とも思いました。
人口や、年間に産まれてくる子供の数で多少のズレは生じるかもしれませんが、こちらでは省きますね。
https://www.unicef.or.jp/sowc/pdf/01.pdf
こうみてくると日本ってめちゃくちゃ安全に出産もできて、安全に子供が育つ環境なんですよね。そのほかの先進国もまた然り。
当たり前すぎて気づかなかったですよね。
健康に産まれてくるということ
ここまでで、日本は子供を産む数が少なくても、安全性に産むことができて、大体の子が元気に育つと言うことが理解していただけたでしょうか?
しかし、医療には“ 確実”と言う言葉がありません。
先ほども触れたように、どんなに安全な日本であってもお母さんのお腹の中で亡くなる子や、産まれてすぐ亡くなる子などはやはりいるのです。
また、産まれたとしても、生まれつき、もしくは生後すぐに病気や障害を抱えてしまう子もいるわけです。
医療、福祉関係で働いている人であればまだこのことを実感しやすいですが、全く関わりのない人であれば気づきにくいかもしれません。
疾患や障害を持っている人や家族が不幸であると言いたいわけではありません。
ただ、医療的な支援が必要になることは必須で、場合によっては行動の制限が出てくるというのが現状です。
なので必ず人生の中で大きな壁に立ちはだかります。
だからこそそんな障害や病気と向き合い、それらとと共に生活している人ほど心が強く、優しく、新たな発見をくれることが多いように感じます。
ドキュメンタル番組などみると、私の母はいつも決まってこう言うのでした。
「うちの子はみんな五体満足やし、病気もないし、しかもみんな綺麗な顔で産まれてきてくれて、本当に感謝やね。」
当たり前すぎてなかなか気がつきませんでした。
しかし今、歳を重ねるにつれたくさんのことを知り、医療現場などでの経験や、人に出会うことで、やっとこの言葉が沁みるようになりました。
何不自由なく、生きていることってすごいこと、ラッキー、と。
当たり前すぎました。
でも、大事なことです。
さいごに
私たちの今置かれている環境がどれだけすごくて恵まれているか、お分かりいただけたでしょうか?
わかりにくいことだから、それに気づかず、悲しい事件が起きている世の中。
便利になりすぎて、幸せを感じにくくなっている世の中。
その小さな当たり前の幸せに気づける人が増えたら、もっとステキな世の中になっていくと思いません?
そんな当たり前があるということは本当に幸せ。
やりたいことができるって本当に幸せなこと。
みなさんの些細な幸せを見つけることや、自分のやりたいことに制限をかけているものはなんですか?
そう感じる、まっちーなのでした。
今回はめちゃくちゃ硬くなっちゃったなぁ。笑
それでは、また次回!!!
話し合うことは楽しいことです。
どーもー、まっちーです!!!
あなたは直接話をするのが好きな人?
それとも文章でのやりとりの方が好きですか?
皆さん各々に得手不得手があると思います。
そんな私は、話すことが好きです。
今回は前回少し触れた、
私は話すことが好き、得意である
ということについて、好きになるきっかけや、成長できるた経験があったのでそれについて書いていこうと思います。
人に会う機会が多かった
まず家庭の環境として、私、5人兄弟なんですよ。
自己紹介でも触れてますが、私はその三女にあたります。姉2人、妹、弟という構成。
賑やかでしょ?
そして二世帯住宅ということもあり祖父母とも同居していましたので、家の中にいる人数を数えると、トータル9人。
サ◯エさん一家より多いですね。笑
これは現代の家庭では多い方ではないのでしょうか。
やはり日頃からコミュニケーションをとる人が多かったことは私に大きな影響を与えていたと思います。
また、5歳〜12歳まででいろいろな習い事をさせてもらいました。
・硬筆・毛筆
・絵画・工作教室
・ドッチボールクラブ
・ラグビークラブ
・フルート教室
などなど。
ラグビーしてた女子は当時ほとんどいませんでした。笑
私は昔から体が大きかったんで男の子と対等かそれ以上でした。
興味持ったこと、やりたいことはなんでも経験させてくれて、両親にはとても感謝しています。
このようにたくさんの習い事からそこでも友達を作ったり、先生と話をしたり、年齢関係なく多くの人と関わることができました。
このような経験から潜在的に人との関わり方を学んでいたのかもしれません。
小学校まではクラスのどの子とも仲良く特に人間関係に悩むことなくすくすくと育ちました。
中学校での苦悩
中学生になり、友達もたくさんでき、吹奏楽部に所属しました。
成績もトップをキープし、順調な学生生活でした。
中学2年のクラス替え、仲良い子とはほとんど別のクラスになり、同じクラスの人はあまり馴染みのない人ばかり。
ここから私は人間関係に悩み始めました。
まず、クラスの女子はいわゆるギャルの子達を筆頭にグループができていました。
ただその子達と私は馴染めませんでした。
ふざけて、目立って、そんな楽しみ方に共感できず、苦手意識を持っていました。
でも、中には良い子だな、仲良くなりたい、と思って接してみたのですがもう1つ課題がありました。
それは “ 優等生 ” という周りの認識。
「まちださんは真面目やき、私らと違う。」
そんな感じで境界線を引かれ、距離があるように感じ、自然と私も関わりにくくなりました。
逆にもう深く関わることを諦めちゃいました。
同じく男子からも私は 高嶺の花(←自分で言う、笑) 的な感じで声をかけにくかったみたいです。
そこから、いつしかクラスではみんなの思う “ 優等生のまちださん ” を演じるようになってました。
もしかしたら周りの子はそういう風なつもりはなかったかもしれません。
しかし、自分で作った殻を壊すのが怖くて一歩が踏み出せずに守りの姿勢でいることにしていました。
いじめとかそういうことはないのですが、クラスでは少し過ごしずらかったです。
そんな中、唯一の救いは部活でした。
音楽が大好きで、そこでの友達、先輩友達とは “ 優等生 ” を演じることなく素の自分でいることができました。
とても居心地が良く、中学時代はとにかく部活に没頭してました。
そして、中学2年、3年とクラス替えがなく、クラスで窮屈な思いをしながら過ごし、
ある決断をしました。
よし、中学の同級生が誰もいない高校に進学しよう!
そこで心機一転頑張ってやろう!
そして、私は誰も行かない学校を選び、有言実行、見事合格を果たすのでした。
彼氏との抗争で得たもの
高校になり、新しい環境での生活がスタート。
私が行ったところは中高一貫校であり、高校から編入した生徒は私含め50人
中学からそのまま進学している生徒は250人。
すでに出来上がっているグループの中に入っていくのはなかなか難易度が高いことでしたが、クラスに良い人が多かったことと、小学校の同級生が少しいたことで救われました。
難なく高校生活もスタートし、バスケ部にも所属し、楽しい学生生活を送っていました。
しかし、またもやここでも試練が、、、
以前、自己紹介でも触れた高校での彼氏の存在。
この存在がなかなか私を苦しめていました。
その原因が、束縛が強かったことです。
私は男女ともに仲良く楽しく接していました。
その男女グループの中の1人がその彼氏です。
その彼氏と付き合い始めてから「あまり他の男の子と仲良くしないでほしい。」ということで男子と関わることを避けていたし、それを知っている男子からも気を遣って距離を置かれるようになりました。
若いですね〜、笑
でも、私は元から束縛や依存が大嫌いでした。
それが嫌であり、困っているということを正直に彼に話をしました。
必死に彼と話し合い、お互いの関係がより良くなるよう何回も何回も喧嘩や話し合いを繰り返しました。
その甲斐あり、徐々に彼の心も広くなり、徐々に過ごしやすくなりました。
なんでそんな人と付き合ったの?早く別れたら良いじゃん。ってよく言われました。
でも当時は好きだったし、何より本音で話し合うことができていて私も気持ちが楽でした。
彼氏との抗争の中で学んだこともあるんです。
というのは、“ 感情の整理、コントロール ” が上手になりました。
会話において、女性は感情的であり、男性は論理的であると良く言いますよね。
もう当時の私達はまさにこれでした。
喧嘩になり、話し合いをするのですが、私は相手の怒っていることが、どのポイントで、どうして怒るのか最初は全然わかりませんでした。
彼からすると、解決をしたいから理由を聞いているのに、私がその理由をうまく説明できないので余計に怒っていました。
私も当時自分の感情の整理が下手くそで、なんで泣いているのか、なんで嫌なのか、どうして欲しいのかなどが最初は分からず、「なんか分からんけど、つらい」と泣いてる状態でした。
これ、実際に当てはまる人、この場面に直面したことある人いますよね?笑
まさにこんなやり取りで、最初は自分の感情に向き合わされることがとても苦痛でした。
相手もしんどかったと思います。
ですが、私達は誠実に相手と向き合うことを大事にしていた、というか好きだから自然とそうなっていったのかもしれませんが、めげずに根気強く話し合いを重ねました。
この経験から私は感情の整理が上達し、何が原因で、自分がどう感じたのかを伝えることができるようになりました。
また、相手がどう感じ、考えたのかを投げ出さず理解できるようになりました。
ただ、涙のコントロールは今でもできません。笑
いろんな感情の時、自然と出ちゃうので。
今となってはいい思い出です!
これ以外でも恋愛ネタは、面白いことから、ドラマチックなことから、いろいろあるので、聞きたかったらまた言うてくださいね。
こうして私は恋愛を通して着々と、話す力、理解する力を身につけていました。
“自分の意見をもつ”ということを知る
大学生の頃、接客という場でコミュニケーションスキルを学ぶとともに私の大きな出会いがあります。
それが、NPO法人HOPE という団体が開くイベントへの参加です。
どのような団体かと言いますと、
“ 四国をフィールドに活動している青年活動家、また団体をネットワークすることにより、四国の青年活動を活性化し、多くの社会問題解決に寄与することをミッションとして活動している団体 ” です。
詳細はこちら↓↓
この団体の取り組みの1つに教育、環境、国際という3つのテーマで、それぞれが合宿形式をとり、自己成長をへのきっかけ作りの場を提供しています。
友達がこの団体でスタッフをしていたことから、誘われ、私も興味を持ち参加してみました。
世界規模で活躍している人から、地域活性に力を入れている人など、様々な登壇者に出会いました。
最初はそんな人たちを間近で見て、話をきいて、凄い!かっこいい!と圧倒されました。
そして話を聞いた後には参加者同士で意見を話し合う場が儲けられ、そこにいる参加者も活発に、しかもいい発見、気づきなど戸惑いもなく話し合うのです。
そのような人たちの中で、私は自分が萎縮していることに気がつきました。
周りからかっこよく、賢くみられたいという自分、
自分の意見があっているのかどうかを気にしている自分がいました。
話をすることは好きなはずなのに、なんであの場では上手く話せないんだろう、と考えました。
そして、話をすることは得意でも自分の意見を持つ、主張する、ということに自信がないことに気がつきました。
そんな時、ある登壇者が「それってすげーよ。」と当たり前のことをそのまま言葉にしたのです。
そこで気がつきました。
シンプルでいいんだ、と。
自分がそう感じたのであればそれをかっこよく見せる必要なんてないのです。
自分は何を無理して背伸びして、自分で生き辛くしているんだろう、と。
ガチガチの石にたいな脳みそがふわっとマシュマロみたいに柔らかくなるような、
そんな感覚がしました。笑
そこから、感じたことを難しく考えるのではなく、素直に言葉にすることから始め、
良いも悪いも自分の意見というものをはっきりと表現できるようになりました。
そこから、相手からもそれに対し意見を返してくれるし、否定も肯定も、両方自分のためになるものと受け取れるようになりました。
相手の違いを理解することで自分にはない世界観、考えを知ることができましたし、また、それらを知るから自分にないもの、あるものに気がつけるのです。
そんな発見が面白くて人と話し合うことが楽しく、交流の場によく参加するようになりました。
今後の目標
いろんな人に出会ってきて、自分にはない経験を積んだ人、違う環境にいる人など、とにかく人の話は面白い!
でも現在、私にはコミュニケーションツールが日本語しか搭載されていません。
また、出会える機会も日本国内とめちゃくちゃ限られてました。
ま、別に現代社会SNSなどですぐ海外の状況を知れるし、繋がれるし、国内でも十分世界を知ることもできるんですけどね。
なので私は日本で、持ち前の社交性とボディーランゲージを駆使し、外国人の友達を作りました。
そこではめちゃくちゃ海外の文化、言葉、考え方、逆に日本のことも発見が多すぎてめちゃくちゃ楽しく、考えることを増えました。
そうすると、より一層世界のいろんな人に会いたくなりました。
いろんな世界を直接見て、感じてみたくなりました。
コミュニケーションツールを増やし、もっといろんな人に会って、その人を知って、いろんな場所に訪れ、文化に触れ、自分の世界を広げていきたいです!
そして、私を通していろんなことをみんなにも知ってほしいです!
最後まで読んでくださり、ありがとうございます!!!
めちゃくちゃいい人!!
次回をお楽しみに〜!
おまけ
何か大きな成功を納める人って、大抵大きな挫折や辛い過去とか持っている方が多いですよね。
こう振り返っていくと、私の人生そんな大したことねぇなってつくづく思います。笑
でも小さなこと、些細なことでも自分自身考えたり、人に助けてもらいながら、自分の人生に意味づけをしてきているように思います。
それを成長とか、成功体験として自分に落とし込み、自分の自身に変えているのかな?と思います。
つくづく、私は恵まれていて、幸せな人生を歩んでいるな、と思います。
今後の波乱が怖くもあり、楽しみですね!
こんな隅々まで読んでくれる貴方はめちゃくちゃ素敵な人!!!
嬉しい!!!ありがとう!!!
それではまた次回!!!
好きなことを仕事にしたい!と考えている。
どーも!まっちーです。
皆さんは今どのような仕事をしていますか?
公務員、医療関係、カフェ店員、IT関係、フリーランス、旅人、YouTuberとか?
現代は色々、なんでも仕事になっちゃう時代。
選択肢が広がりすぎて迷っちゃいますよね。
私もその中の1人です。
絶賛、無職してます。笑
そんな私、最近いろんな本を読んでる中で、
" 好きなことを仕事にする "
このワードがよくみられ、昔思い描いてたことを思い出しました。
" そういえば私好きなことを仕事にしたかったがや!"
私を原点に立ち返らせてくれたこの思いを忘れまいと
私の仕事への考え方など、25年間を振り返りながら綴っていきたいと思います。
皆さんは今の仕事、好きですか?
最初の夢は魚屋さん
保育園の頃ってみんな将来の夢を書きませんでしたか。
昆虫博士、お医者さん、ウルトラマン、セーラームーンとか、もう自由に、笑
小さい頃は自由ですよね。
そんな中、私の夢は「魚屋さん」でした。笑
私は魚を触ることできません。おたまじゃくしや金魚でさえも触れません。
なんで!?って思う夢ですよね。
このネタは今だに家族内でよく思い出し笑っています。
なんで魚屋さんなんだろうと振り返ってみると、
当時の私は魚を食べること、釣りをすることが好き だったんでしょうね、
単純。笑
そこから小学生の時は「パン屋さん」
毎週土曜日か日曜日はお父さんと早起きしてスポーツをして、そのあと近所のパン屋さんにパンを買いに行くのが好きでした。
パンが好き、お菓子作りが好きで妹とパン屋を開こうと構想してました。
中学校に夢は「美容師」
ヘアアレンジをするのが好きでした。
職場体験は美容院に行き実際にパーマの巻き方を教えてもらいました。
このように 好きだからその仕事をしよう! が当たり前でした。
私の父も自営業で、写真館をしています。
なんで写真館をしているのかと聞いたことがあって
祖父と父の趣味から始まり、その頃は写真を撮るお店が少なかったからそれを仕事にした
というような感じだったようです。
そんな父のもとで育ったから、" 好きなことを仕事にする " が私のテーマになっていたのかもしれません。
高校進学で夢がなくなる
好きなことを仕事にしようという発想に変化がでるのは中学3年の時です。
中学3年の受験生。進学先を考えていて、私はお母さんに相談しました。
私「将来美容師なりたいから、専門学校行くならそんなに学校とかこだわらんでいいし、制服がかわいい〇〇高校行きたい。」
母「せっかく成績もいいからもっと良い学校行って自分の将来の可能性を広げておいたら?専門学校入るのは後からでもできるからその時考えてみたら?」
「大学に行ける学力があるなら、大学にでておいた方がゆくゆく有利になるし。」
素直な私は
確かに学歴は大事やし、選択肢を広げれるなら広げておく方がいいのかな
と考えました。
そこで美容師を将来の夢から無くしたことでその理由も自然と考えていて、
賃金お低さと競争率の激しさを挙げるようになっていました。
そして一から将来の夢を考え始めました。
高校は進学校だったこともあり周りのプレッシャーや自分のプライドから仕事に対しての考え方が、" 好き "から" 貢献できること "に変わっていっていたように思います。
この頃から将来何したいの?なにになりたいの?という質問に対して具体的な職種を言えなくなっていました。
以前の記事でも書いたように、看護師を選んだのもここからきており消去法的に選ぶようになっていました。
参考↓
時給より楽しさ
高校を卒業して大学生になり、アルバイトを始めました。
この経験を経たことで改めて" 好きを仕事にする "の片鱗 が見え始めたように思います。
思えば学生時代たくさんのバイトを経験しました。
・居酒屋のホール
・結婚式場の披露宴スタッフ
・ユニクロ
・スターバックスコーヒー
接客業ばっかり、笑
なんでかって?
私は" 人と話すこと、その人の考えを聞いたりすること "が大好きで楽しかったんです。
このことについて、あるきっかけがあったので詳しくはまた記事を書こうと思います。
アルバイトってお金を稼いで自分のお小遣いが増えることを目的としている人がほとんどですよね?
私も最初はそう思って居酒屋でのバイトを始めました。
私第一印象が良いみたいで、お客さん受け、おじさん受けが良かったんですよね。笑
そこでお客さんからの良いお声をいただくことや、社員さんに認められたり、自分のスキルが磨かれ、できることが増えてくる。
自分のスキルアップが楽しくて、バイトに行くのは息抜きみたいなものでした。
そこから他の仕事も楽しそう!という観点から掛け持ちしてバイトを始めることにしました。
いろんな接客がそれぞれの場面で活かされ、直接お客さんから
「サービスがよかったよ。」「ありがとう。」「素敵な笑顔!」
一瞬の関わりで名前を覚えてくれる人までいて 、とにかくそれが素直に嬉しかったんです。
そこで私は" 人と話すこと関わることは私の得意分野であり、すきなことなんだ!"と発見をしました。
人間環境
あと、アルバイトをする上で私が重視していたもう1つのポイントとして、
スタッフの人間性やスタッフ同士の人間関係を重視していました。
ここでは人間環境とでも言わせていただきます。
ここに関して言えばスターバックスは本当に良かった!
コーヒーが好き、接客が好き、スターバックスが好き
そんな人たちが集まっていたので、楽しんで働いている人たちばかりでした。
楽しく働いてる人って余裕がありますよね。
余裕があるから自分にも相手にも優しく接することができるし、その関係がより働きやすい環境を作っていて、とても居心地がよかったです。
看護師をしたくなかったので、大学卒業後はスターバックスに就職しようとガチで思ってました。笑
逆にユニクロは私には合っていませんでした。
というのも私が働いた時期がリニューアルオープンの時期でめちゃくちゃ忙しくて、スタッフがめちゃくちゃ辞めていました。
やっぱ忙しさもあるし、それもあってなのかとにかく平気で人の悪口を言う人、嫌がらせをする人、など職場の空気を乱す人が多かったです。
※私が所属していた店舗、その時期でのことなので全店舗がそうというわけではありません、今は環境が変わっていることを祈ります。
服が好きですし、接客や業務は好きなんです。
また経営戦略などは世界企業ということもあり、勉強になることも多くて楽しかったです。
ただ、私は直接被害を被ってはいないのですが、ネガティヴな環境にいることで気を遣ったり私が消耗していたので、1年で辞めちゃいました。
こう振り返ってみると、環境を変えて自分の過ごしやすいところに身を置きにいっていることが分かりやすいですね。笑
どれも良い経験になりました。
就職1年で転職
以上のように私の仕事に対する姿勢は看護師になっても炸裂していました。
最初に地元の三次救急病院に就職したのですが、そこでの環境は良くなかったです。
人間環境が良くないのは覚悟していましたが、それよりも良くないのが教育環境だったのです。
というのも
同期含め私たちは夜勤を1年間させてもらえませんでした。
普通は6月から夜勤を始めるところが多く、遅くても秋ぐらいから始めるところがほとんどだと思います。
させてもらえない理由は「あんたらは夜勤ができるレベルじゃない。」
↑本当にこう言われました、盛ってません。
具体的な解決策を提示してくれるわけでもなく、一緒に考え答えを導くわけでもなく、ただ私たちを否定するだけ。
先輩にも協力してもらい上司に掛け合ってもらったり、アドバイスをもらったり、
上司に自分の勉強したい疾患の患者を提示しても「まだ早い。」ただそれだけで全然ステップアップがでませんでした。
机上で勉強するのと実際に看るのとでは全然違います。
そもそもやらないと、できることもできん、本末転倒じゃないか!
大学時代の友達とお互いの仕事のことを共有した時に私の部署の異常さを再確認しました。
師長には話が通じなかったので部長に相談をしましたが、そうすると逆に私が師長に嫌味を言われてしまいました。
そこで私は『転職』を決意するのでした。
"まずは3年"
この言葉はめちゃくちゃ私の判断を鈍らせました。
めちゃくちゃ悩んでました。
確かに最初の職場はハード面、治療に関していいところ、勉強になるところはたくさんあり、他の病院と比較しても良かったと言えます。
でも、思い切って踏み込んでよかったです。
転職後は治療やハード面で劣りはするものの、経験できることは増えました。積極的に学ぶこともできました。
人間環境にも恵まれ生涯仲良くしていきたいと思える友達もできました。
私のやりたいことに賛同、応援してくれる人に出会えて、その人たちのおかげで
今、無職となって次のステップに進むことができています。
好きなことを仕事にする
今年の1月に仕事を辞めて、バイトも2月で終了させました。
現在、無職。
改めて自分の仕事、働き方について考えています。
そこで自分の" 好きなこと、得意なこと "を見つめ直しています。
タビワライフサロンに入って、ポジティブな人たちが多く触れることができて、いい刺激をもらっています。
今は、好きなことで生きていけるということがいろんな人を通じて証明されていますし、SNSによってさらにそれがわかりやすくなりましたね。
時代にとらわれず、昔から好きなことで生きていけたのかもしれません。
ただ、日本の文化的背景のために難しかったり、達成できたひとでも少数派であるが故に"あの人だからできたんだ"、と一般とは切り離されて伝わっていたのかもしれません。
IT技術の発達もあり、いろんな人、文化の多様化がでてきて変化が著しくなっきていて仕事のありかた、生き残り方も著しく変わってきています。
私もその波に乗り遅れないようにしがみついて、むしろそれを利用して生きて行くぞ!
最後まで読んでくれてありがとうございます!!!
私は嬉しい!!!
次回をお楽しみに〜!
おまけ
「辞めたい」と思いながら仕事を続けている人にたくさん会ってきました。
それを聞くと私は「じゃあ辞めちゃえば?」と思っちゃいます。
でも、それができない何かしらの理由が各々にあるかもしれないし、そもそも、それが分かっていないかもしれないし、葛藤し、困っているのかもしれません。
自分が少しでも一歩を踏み出してみようかな、でも自信がない、ともやもやしている人がいるのであれば、是非協力したいし、そんな方を応援したいと思います。
私や誰かが代わってできることがあったら良いけど、選択するのは本人にしかできないんです。
でも、その決定するまでの"考えの整理"を手伝うことは私にも他の人にもできます。
私も絶賛悩み中で、みんなに頼り中です。笑
一緒に悩みましょう。
大丈夫、助けてくれる人は世の中いっぱいいます。
私もいっぱい助けてもらってます。
ここまで読んでくださるあなたは本当に素敵な人!!!
めちゃくちゃ嬉しいです!!!
次回をお楽しみに!!!